神はハッカーである。
by フランシス・クリック
まださほど高度の上がっていないヘリコプターの爆音が、築十数年以上を経たと思われるアパートの窓ガラスをビリビリと震わせる。
「おやおや、誰かさんに先を越されちゃったな・・・・」
雑然とした室内で、啣えタバコの青年がモニターを見つめながら呟いた。
画面上に流れる文字列を読みとりながら、彼は人の悪そうな薄笑いを浮かべた。
青年の名前は桜井雅宏という。実は『リーイン』というハンドル・ネームでならした、名うてのハッカーだ。
そもそも彼が『詐欺まがいの手口で荒稼ぎをした企業のシステムに侵入してやろう』なんぞと思いたったのは、正義感からだけではない。やばいことをしている連中にありがちな「ガードのカタい」かもしれないであろう相手に、腕試し気分だったというのが正直なところだった。
だがいざ侵入しようとしてみたら、相手はまさにハッキングされている真っ最中だったのだ。
桜井は、そのまま様子を見続けることにした。
誰とも知れないハッカーの見事な手腕に、彼は舌を巻く。これでは相手も防ぎようがないだろう。
―― ご愁傷様だねえ
エレガントささえ感じさせる手口でデータが次々と引き出されていく様を、彼は賞賛の目で見つめた。
やがて侵入の痕跡消去が始まった。
桜井は慌てる。
「おっと、僕も逃げないとな・・・・・・えっ! ?」
正体不明のハッカーが消え去る瞬間、彼のディスプレイ上に文字列が現れた。
『この次は一緒に遊ぼうね。>リーイン』
くだんのハッカーが、彼宛にメッセージを送ってきたのだ。ずっとモニターされていた事を、気付いていたらしい。
ハッキング中だってのに、脇で見てたこっちの正体までつかんだってのかい?
そんな・・・・・・
あまりのことに呆然としかけるが、桜井自身も慌てて撤退する。人のやってたハッキングを眺めていてテメーが捕まったんじゃあ、ただの大間抜け野郎だ。
ややあってマシンの電源を落とした桜井雅宏は、短くなった煙草を揉み消し、新たな一本に火を付ける。
呆けたように紫煙をながめながら、彼はつぶやいた。
「・・・・・・『駭客神(ハッカーシン)』か・・・・・・? 」
このところ電脳ネットワークのちまたでは、正体不明のハッカーのことが話題になっていた。
「いやハッカーなんぞという高尚なシロモノではなく、あんなのはクラッカーだ!」と悪し様に言われることもあるその人物は、ハンドル・ネーム『隻眼のKADI』を名乗り、あらゆるお役所や企業のシステムのハッキングしてまわっていた。
その上、名うてのハッカーに勝負を挑んでは、それを赤子の手でも捻るかのように負かし、相手の負け方によってはマシンのBIOSやらブートレコードを初期化したり回復不可能なまでに破壊してのけたりまでするという、悪虐非道な奴でもあった。
使用するハンドル名から、かつて放映されたことのある某マイナー・アニメのファンであろう事は察せられたが、その正体をつかめた者は今のところ誰もいない。
しかし、ことハッキングに関しては神業的なまでの腕前なので、一部ネットワーカーの間では懐かしい香港映画のタイトルに引っかけた『駭客神』という二つ名で呼ばれるとともに、熱烈に憧れられてもいた。
ところで中国語ではハッカーには『黒客(ハッカー)』の字を当てることが普通だが、『黒』には『黒社会(ハッセイウイ)』などの悪いイメージがあり、どうしてもクラッカーという印象になる。あえて『駭客(ハッカー)』という表記の方をとった辺りにも、ハッカー達の気概というか、天の邪鬼なマニアックさが現れているといえるだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
・・続く




